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今月のOh!ススメ本

富士店 「長澤」のOh!ススメ本

  • 2019年05月のオススメ本
  • 浮世の画家
  • カズオ・イシグロ/著 飛田茂雄/訳
  • 価格/972円
富士店
長澤
今ではもう他人の話を聞くことなどとても面倒な性格になっていまいましたが、中学生くらいの時分には、実家に訪れる親戚だか両親の友人だか判然としない大人たちが繰り広げる世間話を盗み聞きするのが割と好きでした。快感だったかもしれません。その大人たちが使う「浮世」という言葉の響きに惹かれ、どんな意味なのか話の中身をよく聞いていると、どうもあまりよろしくないほうの意味で使われていると感じ、この時期特有の好奇心から、本の中に載っている「春画」をチラ見したり、テレビの時代劇で盗賊達が芸者達と遊んでいる場面を見たりしては、やはりこういう享楽的なことをいうのかと、理解しておりました。また、明治生まれだった祖母と両親と同じ世代の大人達(昭和の初め生まれ)とのやりとりでは、天皇、そしてあの大戦に対する考え方や思いにとても温度差があり、そのことが衝撃的で、空っぽの頭の中が少なからず混乱し、仕舞にはこの大人たちは何か重大な秘密を隠している、と勝手に思い込んだりもしておりました。
「浮世の画家」を読んでいると、今は既に無くなってしまった盗み聞きしていた縁側の風景と、祖母と炬燵で対座して彼女の昔話を聞いていた風景が、まるでモノクロの日本映画のように幾度となく浮かんでくるのでした。
この作品は戦前に、ある才能高き画家森山(モリさん)の弟子となった主人公小野益次が、モリさんを師事して一流画家を目指すも、やがて時代の波からその師匠の画風が享楽的退廃的だと思いはじめ、自分はもっと日本国民を奮い立たせる影響力のある画家へ転身するべきだと決意し、そして思い通り成功を収め名声を得たものの、やがて敗戦をむかえ、人々の価値観は大きく変化し、いわば戦前の考えを否定する風潮にかわったため、小野は自身の過去を振り返り苦悶する日常を送りながら、差し迫った次女のお見合いをどのように無事成功させるか、過去の自分の所為で破談になったりしないかと、尽力する姿が本人の一人称で語られていく物語です。前書きでプルーストの「失われた時を求めて」の影響があったことを作者が告白しており、記憶の曖昧さに加え、時が次々と変わり、過去(戦前)と現在(戦後)が入り乱れる展開となっていきます。かつての考え方、生き方はその当時自分が肌で感じ、考え抜いた結果であるから、時代が変わったからといってすべて否定されることに小野は納得できない。彼の被害妄想にも似た心の動揺が読み手の心を揺さぶります。物語の結末を申し上げるのはどうかとも思うのですが、重いテーマで暗い結末かと言うとそうではありません。次女の縁談は小野の心配と苦悩をよそにうまくいきます。小野自身もそこで何かを悟ります。そんな小野から勇気をもらえるかもしれません。また忘れがちな事ですが、夫婦や親子といえどもお互いの心を理解するのに微妙なずれがあることを気付かせてくれます。
人の心は移ろいやすく儚い、それが「浮世」だということも。
あの頃の大人達が隠していたと思っていた秘密について、年をとるにしたがい肝心な知識は身につかない代わりに余計な噂ばかりが頭を占領した所為で、何となくわかった気がしていましたが、それをあの人たちとお話する機会がやってくることは、もうありません。
でもそれでよかったと思っています。ためらい橋の途中で、それがいいと。
浮世の画家
著者カズオ・イシグロ/著 飛田茂雄/訳
出版社早川書房
ISBNコード9784151200953
価格972円
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